2012年11月29日木曜日

⚫生命と万物の一体性

地上は生物であふれています。しかし、どの生命体も単独では生きられません。様々な環境条件を必要とします。動物は必ずエサと酸素を必要としますし、それが最終的には植物に由来する事が知られています。植物は葉緑素を用いて水や空気中の二酸化炭素を使い太陽エネルギーを糖や澱粉に固定します。それを地上の生命体は食べているのです。また、地上の生命体には様々な元素を供給する地面(地球)が必要であり、空気や太陽もまた必要なのです。そのように考えると、結局、地上や宇宙にあるもの全てが地上の生命体には必要なのかもしれません。 人間もそれらの全てと本来は関連を持ち、その一部なのです。

2012年6月27日水曜日

春の晴れた穏やかな日に桜の花見をすると、なぜかほっとした気分となります。花が咲いて散り、やがて青葉が芽吹いて葉が木全体に生い茂り、夏となります。桜の木は季節の推移に従い着実に成長を続けていますが、人間の生活感覚から見ると、その動きはほとんど感じられません。ただ、木々の葉が気持ち良さそうに風にそよいでいるだけです。「柔和な者は幸いである。彼らは地を受け継ぐであろう」とか「あなた方は互いに愛し合いなさい」というイエスの言葉は、過激競争の現代社会では難しそうです。仏教には「禅定」と言い、禅で瞑想に入って心を安定させる技法があります。そのように、現代人は心の平和や安定をもたらす何かの工夫をする必要があるのでしょう。それには、ネガティブでもポジティブでもなく、右でも左でもない、中央のバランスの位置に身を置く「中庸の徳」も、あながち軽視できないのです。A氏が「何事も適度に楽しんで良いのです」という言葉は、この意味でも安心感を与えてくれます。野鳥や野の動物たちはまったく自由に生きています。人間もそのように生きるためには、時々自然界の時間に合わせたり、各自工夫をする必要がありそうです。---------------------- (2012年6月27日ー)

2012年6月17日日曜日

最近、NHKの番組「宇宙の渚」で、国際宇宙ステーションから見た宇宙飛行士の撮影した宇宙からの眺めを見ていると「静寂」とか「悠久の時の流れ」を感じる気がしました。おそらく宇宙空間には音が無いのでしょう。しかし、オーロラは、時によってはかなりの変化を見せます。高度400kmくらいの地球周回軌道上を回り続けている宇宙ステーションでは、昼夜の地上の光景とその変化が唯一の楽しみとなるのかもしれません。古川宇宙飛行士が半年近くも宇宙ステーション上で生活されたのは大変な事だったと思われます。★しかし地上では少しづつ変化がおきています。スーチー女史がノーベル平和賞を受賞してから21年ぶりにオスロで受賞記念講演をされたのも時代の変化を物語るものです。平和とは戦争がないことですが、愛知万博では、過去に2週間以上、地上で平和が続いたことがないという情報を得て驚きました。今でも世界のどこかで武器を使用した紛争がおきています。個人的にできることは自分の内なる世界を平和に保つことでしょう。そして自分の周囲も平和にして行くことだと思います。それが世界中に広がれば人類の生息場所は全て平和になるはずです。-------------------(2012年6月17日ー )
核兵器の実戦使用は、広島と長崎に落とされたものが最初である。この広島型原子爆弾は核分裂を利用したもので、TNT火薬に換算して約1万5千トン分の破壊力があった。この爆弾1発で人口34万人のうちの約16万人が急死亡したとされている。しかし1952年11月1日に米国が太平洋上で実験した重水素を使用した世界初の水素爆弾は核融合反応を利用したもので10.4メガトン(広島型の693倍)という大きさであった。以後は小型化と威力の増大がはかられ最大の50メガトン(広島型原爆の3333倍)のものまでがつくられた。また小型(広島型の約8ー31倍)のものは核戦略ミサイルに搭載され、発射ボタンを押すだけで世界のどこにある都市にも飛んで行き破壊できるものとなった。こうした核融合爆弾を開発し常備できたのは数カ国だけである。現代では超小型のものは個人で持ち運びができると言われていてテロ等に使用される可能性が大となった。未来には、こうした核爆弾を使用した戦争が起きないことを望むものである。------------------(2012年6月11日ー6月17日)

2012年6月11日月曜日

かつて、地上には「冷戦」という暗雲が立ち込めた時代があった。第二次世界大戦後、世界各国は、米国を中心とするNATO側とソ連を中心とするワルシャワ条約機構側の二つの陣営に別れて対立していた。そして双方数万発の戦略核ミサイルを配備し睨み合っていた。途上でキューバ危機などがあったが、一触即発、先制攻撃が有利で、ちょっとした事件からあっという間に全面核戦争が始まることは必至であった。しかし、この事態は誰にも変えられなかった。ところで、1952年に米国が世界初の水素爆弾の実験に成功した後、1952年11月20日に米国人のジョージアダムスキー氏はモハーベ砂漠で最初のコンタクトを体験した。彼はその体験談を書籍で出版し、世界初のコンタクト体験談の出版人となった。また、彼はその助言から「核戦争の防止」のために世界を駆け回り、世界GAP活動を推進するなど、他のコンタクティー達とも連帯して核戦争反対運動を行った。その活動や他の善意の人達で核戦争を防止する活動をした人達の努力のためか1991年にソ連は崩壊し、新たな体制となった。こうして、世界は絶滅の危機から救われた。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーー(2012年5月25日ー6月11日まで)